人と会話をするとき、「相づちしか打てなくて、自分の意見が言えない」と悩む方もおられるかと思います。
かくいう私も、人と話すのがすごく苦手です。
人と話すときは、いつも聞き役に回ることが多く、相づちばかりで自分の意見が言えないことに落ち込んでしまいます。
うまく会話ができればいいんですけど、中々難しいですよね。
そんな中、先日読んだ本「知の体力」(永田和宏著/新潮新書)に参考になる箇所がいくつかあったので、ご紹介したいと思います。
この記事を読んだ方が、会話をするときに少しでも気が楽になれば嬉しいです。
会話で相づちしか打てないことは悪いことじゃない
会話で相づちしか打てないことは、悪いことではありません。
なぜなら、相づちは相手の意見を受けいれることに他ならないからです。
「知の体力」には以下の一文があります。
「相槌」というのは、取り敢えず相手の意見を受け容れることからなされるものである。
引用元:永田和宏(2018年)『知の体力』新潮社(211ページ)
この一文を読んで、相づちばかりではダメだと思う自分を肯定してもらえたように感じました。
相手の話に相づちを打てることは、思った以上に重要な意味を持っているんです。
自分という存在を受けいれてもらえることで、話す側はどんどん前向きに話を展開できます。これって、すごいことです!
相づちしか打てないと悲観的にならなくて大丈夫ですよ。
気の利いた意見を言えなくても大丈夫
会話では、何か気の利いた意見を言えなくても大丈夫です。
なぜなら、相手にとっては、あなたに話を聞いてもらえることの方が重要だから。
例えば、相手から何か相談を受けたときを想像してみてください。
相手から相談を受けたとき、あなたは「何か気の利いたことを言わなきゃ!」って思うかもしれません。
でも、無理してひねり出した言葉はどこか薄っぺらいもので、相手にもすぐに伝わってしまいます。
以下は、目上の人が若い人から相談を受けた際によくある光景です。
相談された内容に対して、なかなか「私にはわからない」というひと言が言いにくい。相手は、何であれ私のひと言を待っているのだという意識から、得てして毒にも薬にもなりにくい「もっともらしい言葉」、いかにも「それらしい言葉」を援用して、その場をまとめてしまおうとする精神の傾斜を無しとしない。
引用元:永田和宏(2018年)『知の体力』新潮社(215ページ)
もし何か意見を言うのであれば、やっぱり素直な言葉を使うのが一番です。
自分の気持ちを言葉にするのは怖い気がしますよね。
でも、素直な言葉には正直な気持ちがこもっていますし、そんなあなたの誠実な態度はきっと相手にも伝わります。
だから、気の利いた意見を言わなくちゃと身構えなくても大丈夫です。
まとめ
ここまで書いてきたことをまとめると、
・気の利いた意見を言えなくてもいい
会話は難しいですが、少しずつ心理的なハードルを低くしていきたいですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
ではでは(^^)/